組織の論理、個人の心理、そしてゲーム製作との出会い

組織の論理、個人の心理、そしてゲーム製作との出会い

過去について

先月末の東京ゲームダンジョン3の後はずっと体調を崩しており、やっと回復してきたので記事を書きたいと思います。
病床に臥せっている中ではゲーム製作がなかなかできなかったので、代わりに自分の過去について振り返っておりました。
ゲーム製作と出会うまでの私の軌跡について、エッセイのように自由に語っていきたいと思います。

学生時代の私

学生時代はゲーム製作をしておらず、ゲームは専らプレイする側でした。
今思えば時間がたくさんあったのでゲーム製作をするにはうってつけの時期ではありましたが、自分でゲームを作るという発想にはなりませんでした。
ゲームに限らず創作というものをそもそもしていなかったので、何かと創作をしたがっている今とは全く違う志向で生きていたのだと思います。
知的好奇心が大きかったため学問は好きでしたが、研究者になれるほど熱中できる分野を見つけることができなかったので、民間企業に就職して適度に知的好奇心を満たしつつ生きていければいいなと漠然と思っておりました。

社会人になった私

新卒で入ったのは金融機関でした。
金融には興味が少しあったので、適度に知的好奇心を満たしつつ生きていけそうなイメージを持っていました。
しかし、その予想は悪い方向に裏切られることになります。

組織の論理

官僚制

金融機関に限らず、一定以上の規模の組織であれば例外なく官僚制によって運営されています。
官僚制とは、広辞苑によると「専門化・階統化された職務体系、明確な権限の委任、文書による事務処理、規則による職務の配分といった諸原則を特色とする組織・管理の体系」と説明されています。
かなり抽象的で分かりにくい概念だと思うので、官僚制の特色をそれぞれを具体的な事例に分けて説明を試みたいと思います。

高度に専門分化されている

ある問題が起きたとき、関連する部署の間で「この問題はそちらの部署の管轄ではないか?」「いやいや、そちらの管轄と考えるのが妥当だ」などといった管轄争いをしたことがある方も多いと思います。
管轄争いのことを「割揉め」と言ったりしますが、このように部署によって所管の業務が明確に規定されている場合、所管が曖昧な問題についてはそれが裏目に出て割揉めが発生しがちです。
高度に専門分化が進んでいると専門知識が蓄積して効率的に業務を処理できるようになる半面、部署が違うとまるで別の会社のようになってしまうという弊害もあります。

明確な権限の委任

この重要度の案件は担当者レベルで決定できて、それより高い重要度だと課長レベルの承認が必要で、さらに重要な案件は担当役員の決裁が必要で…といった具合に、役職と権限の関係が規則によって明確に定められています。
また、上記のような垂直的な権限のみならず、この領域はこの部署の権限で決定出来て、そちらの領域は隣の部署の権限で決定出来て…といった具合に、水平的な権限も規則によって明確に定められています。
平社員だったときには一挙手一投足に稟議が必要となって窮屈な思いをした経験がある方も多いのではないでしょうか。

文書主義

官僚制組織では、文書による統制が非常に重視されます。
個々の業務はマニュアルという文書に落とし込まれ、意思決定や判断は口約束ではなく文書の体裁を取ることが求められます。
卑近な例だと、課長の承認を得るときには「それでいいよ」という言葉ではなく、課長の承認メールをPDF化して証跡として保存しなければならないといった具合に、とにかく文書で統制することにこだわります。
そして、その部署が正式に運営されているかどうかを、上位の部署や内外の監査担当が文書をベースにしてチェックします。
官僚制組織には書類仕事が付きもので、特に本部の管理系部署では書類仕事しかしていないということも珍しくありません。

官僚制は悪なのか?

官僚制という言葉は、「形式的な規則に縛られている、それぞれの部署が自分の仕事しかしない、無意味な書類仕事ばかりしている」などといった具合に悪い意味で使われがちです。
しかし、官僚制は悪なのでしょうか?
日本に限らず、世界中で一定以上の規模の組織は例外なく官僚制で運営されているように見えます。
ということは、官僚制には上記のような弊害を超えるメリットがあると考えるのが妥当だと思います。
官僚制を敷いていない組織は、成長の過程で不正が起きたり統制が効かなくなって瓦解したりするなどして淘汰されてしまったのではないでしょうか。
私は、官僚制というのは組織の論理としては非常に合理的なものだと考えています。

個人の心理

なるほど確かに官僚制は組織の論理としては非常に合理的なものなのかもしれません。
しかし私は、官僚制組織に適合することができませんでした。
もっとも、官僚制組織を積極的に好む人というのはいないと思いますが、それでも周りの人たちは「同期に勝ちたい」「もっと出世したい」などといった動機で活き活きとしていて、それに比べたら私は不活性で意気消沈としていました。
私は閉じた人間であり、同期との優劣や社内での立ち位置に全く興味が持てませんでした。仕事の内容に興味が持てなくても、そういった事柄に興味が持てている人は活き活きとしているように見えました。
一方で知的好奇心は人並み以上にあったのですが、会社ではそれを満たすことができず逆に苦痛の種になっていました。業務は所管ごとに断片化されており、自分の仕事の意義というものを見出すことが困難で、興味を持つことなど到底不可能に思えました。また、膨大な書類仕事や部署間の利害調整に貴重な時間を費やすことに疑問を持たざるを得ませんでした。

ところで、学生のときは研究などにおいてとにかく創造性を求められていました。
私はもともとそこまで創造的な人間ではなかったので、熱烈な興味を持てる学問の分野を見つけられなかったのもあって、しきりに創造性を求められることは苦痛であり悩みの種でもありました。
しかし会社に入ってからは、一挙手一投足に稟議が必要だったり権限が複雑に絡み合ったりしているなど、創造性の芽を摘みたがっているようにしか思えない仕組みに縛られていました
創造性を極端に抑圧された結果、逆に創造性を発揮したくなるという、反抗期の子どもような心理が私の心の中で働きました。
意気消沈して不活性になってしまった私でも、まだ何か新しいものを生み出せるのだということを、他ならぬ自分自身に対して証明したい。そんな思いが芽生えました。

ゲーム製作との出会い

官僚制組織における膨大な書類仕事には全く興味が持てなかったのですが、一方で書類仕事を効率化するために学んだプログラミングには大きな興味を持ちました。
プログラミングは「仕事のための仕事」であり、組織においては全く評価されないスキルだったのですが、私はこれを愛すべきものだと感じて大切にしていました。
あるとき、いつものようにYouTubeを見ていたら、p5.jsでゲームを製作するという動画を見て、自分でも少しゲームを作ってみようと思いました。
Web Editorを使えば開発環境の設定が不用で、いきなりゲーム製作の面白い部分を経験することができたので、これにのめり込みました。
p5.jsは元々ゲーム製作というよりはジェネラティブアートで使われるライブラリだったので、その後はUnityやPhaserなどのゲームエンジンを触り、Phaserを好んで使うようになりました。

ゲーム製作は本当に自由です。
個人でやる限りにおいては、稟議など不要で何でもできますし、書類仕事や部署間の調整などというものは全く存在しません。
ゲーム製作における制約は私の想像力だけであり、全てが自由な愛すべき世界がそこにはありました。
また、ゲーム製作では全ての行動の最終的な責任は私にあり、これは他ならぬ私の事業なのだと感じました。
具体的には、会社員としての名刺は人格が脱色されており単なる連絡先の交換以上の重みを全く感じられなかったのですが、イベントでnyorokoとしての名刺を配るときには名刺に人格が感じられて、その重みに他ならぬ私自身が驚きました。
会社は株主のもので、従業員である私は賃労働の契約を結んだだけであり、会社からしたら顧客と同じく外部の存在です。しかし、ゲーム製作は私の事業なのです。

Simple law, Complex behavior.

最初に作ったのはSpace Journeyという宇宙フライトシミュレーションゲームでした。
ロケットを発射する角度と初速度を設定し、ロケットの軌道は惑星の重力によって複雑に変わります。軌道をうまく計算して目的地にたどり着くという物理シミュレーションパズルゲームです。
このゲームの背後にあるのは、ニュートンの運動方程式と万有引力の法則の2つだけです。
複雑な動きをするゲームですが、背後にある法則は極めてシンプルです。
私はこのような構造が大好きで、これを”Simple law, Complex behavior.”という標語に落とし込みました。

現在は物理シミュレーションゲームの「ブルーオーシャン」を目指し、流体シミュレーションエンジンを開発しています。
極めて複雑な動きをする流体ですが、その背後にあるのはナビエ・ストークス方程式という一本の微分方程式だけで、極めてシンプルです。
この構造が面白くてたまらず、現在はいろいろ実験を繰り返し、面白いゲームに落とし込めないか模索中です。

振り返って

皮肉にも、会社に入って創造性を極端に抑圧された経験があったからこそ、創造性が芽生えました。
また、官僚制組織を構成する一つの部品として人格を脱色された経験があったからこそ、人間らしく自由でいられることの価値というものを再認識することができ、ゲームの世界という自由な箱庭が理想の世界に見えたのだと思います。
私にとって会社員になったという経験自体が大きな挫折なのですが、そのおかげで愛すべき世界にたどり着くことができました。
学生のときに熱中できる専門分野を見つけ、研究者や技術者になった方が、綺麗な道筋だったのだと思います。
しかし、このように回り道をしたからこそ、思いもよらぬ素晴らしい世界に足を踏み入れることができました。
あの挫折にはきっと意味があったのだと思います。
いや、そうではなく、あの挫折に意味を与えるために、これからも私はゲームを作り続けていくのだと思います。

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